うちの弟はおかしい。

「お帰り、姉さん」

私が会社から帰宅すると弟はすごく嬉しそうにする。
初めは私に会えるからだろうと思っていた。(姉の私から見ても弟は結構なシスコンである。)

「ただいまー」
「ご飯出来てるよ。温めるね」
「ありがとう」

弟は器用で男ながらなかなか料理が上手い。今日の晩御飯は生クリームたっぷりのカルボナーラ。麺の固さも私好みで嬉しい。

「美味しい?」
「ああ。というか、お前が作ったものはみな美味しいぞ」
「そうかな」

弟がはにかむ。こういうところは昔から可愛いなあと思う。

「今日は牛乳でアイスを作ったんだよ。食べる?」
「ああ、頂こう。それにしても、お前は何でも作れるのだな。私以上に料理上手で羨ましいぞ」
「そんなことない。姉さんが美味しいって言ってくれるからだよ。それに、姉さんのホットケーキには勝てないよ。どうしてあんなにきれいに膨らむの?」

夕飯どころかデザートも作り、風呂を沸かして私の帰りを待つ弟はまるで妻のようだ。
けれど、普通の弟ならこんなことを絶対言わない。

「姉さん。脚、見せて」

私の喉をカルボナーラソースが滑り落ちる。……また始まった。

「昨日見せたではないか」
「いいじゃない。ちょっとだけ」
「その台詞、三日前から聞いている気がするが?」
「だって姉さんの脚きれいなんだもん」

私は頭を抱えた。
弟は何故だか私の脚を見るのが好きなのだ。
最初は単に脚が好きなのかと思った。ストッキングを脱ごうとしたら脱ぐなと言われた。
さっぱり意味が分からない。日常的に目に触れているものなのに「見せて」とは。
一度意図的に見せないようにしてみたが、その日の食事は普段よりも不味かった。他にも洗濯や掃除が雑になり、弟自身はどこかぼーっとしていた。
何だかよく分からないが、私の脚は大切らしい。
ちらと弟を見ると、じっと私を見つめていた。その、仔犬のような目に、私は弱い……。

「―――…ニュースを見ている間だけだぞ」
「うん!」

テレビを点けて私はチャンネルを回した。場所をリビングに移そうかと思ったがそのままでいいという。
今私が座っているのはダイニングテーブルだ。脚を見る為にはテーブルの下に潜り込まねばならない。そんな手間のかかることをしてまで見る必要はないと思うのだが。
真面目そうな男性アナウンサーが政治に関するニュースを淡々と読み上げる。
冷たいアイスクリームとは裏腹に、私の身体は熱い。
爪先に視線を感じる。親指から甲を上って、足首、脛、膝小僧。足組みなど止めておけばよかったと後悔しても遅い。
……組んだ脚を動かすのを躊躇う。自分の脚なのだから自由なのに。
ニュースは政治からスポーツへと移り変わる。
とある野球チームの監督が体調を壊したようだ。そういえばこのチームは弟が昔好きだったチームだ。今はもう何も言わないけれど。
私はスポーツのことは分からない。野球もサッカーもバスケットボールもよく分からない。でも弟は野球が好きだった。
でもある時、興味を失くした。

「どうして姉さんはそんなに脚が綺麗なの」
「別に普通ではないか。私より細くて長い、綺麗な人など沢山いるだろう」
「ううん、姉さんの脚の方が綺麗だよ」

私の脚のどこにそれほど魅力があるのか分からない。どこにでもある、普通の脚だと思う。モデルや女優みたいにすらっとしていないし、学生のように肉感的な訳でもない。
どこに惹かれるのか訊いてみたが、弟は笑って言った。きっと姉さんには分からないよ。
私はミルクティーに角砂糖を入れる。この冷たいものの後に温かいものを食べる(飲む)のがたまらない。

「なあ」
「何?」
「お前は私のことをどこまで知っている?」

テーブルの下で弟が息を飲んだ。そして、いつもの穏やかな笑みを浮かべて言うのだろう。

「いきなりだね。どうしたの」
「お前が私の脚を見たいと言い出したのはいつだったかと思ってな。お前のことなら何でも知っているつもりだったのだが……」

弟が母の腹の中にいるときから私は彼を見ていた。知っていた。愛していた。
生まれて、自分と似ても似つかない髪と目の色をしていても弟に変わりはなかった。
両親が離婚して離れ離れになっても、また一緒に住むようになっても。
けれど、弟はいつのまにか遠くにいる。
本当に「つもり」だったようだ。

「お前が私の脚を好きだと言った時、一瞬呆然としたな」
「……ごめん。やっぱりおかしいよね」
「いや、別に構わぬよ。私だけならな。もしお前が他の女性にこんなことを頼んでいたら私は…」
「それはないよ! ……姉さんも知ってるでしょ、僕が女の子と話せないの」
「…ああ。そうだったな」
「僕、姉さんのことなら何でも知ってるよ。寝る時に抱きつくものがないと眠れないこととか、嫌いなものをさりげなく僕の皿に入れるところとか」

私はミルクティーを少し噴いた。……気付いていたのか。
ゴルフの大会の結果が終わり、ニュースは芸能に切り替わる。何とかいう名前のグラビアアイドルが結婚するらしい。

「で、それがどうかしたの?」
「いや、別に……」

暗闇に浮かぶ蒼い瞳はサファイヤのようだ。姉さんの目はアメジストのようだね、と弟はいつかロマンチックなことを言った。
弟は私と目が合うと逸らす。疾しいことをしている自覚があるのなら止めればいい。
……それは私にも言えることか。

「イヅル」
「なに」
「たまには一緒に寝るか」

何故弟が野球から興味を失ったか。
何故私の脚を見たがるのか。
その理由に気付いているのに誘う私は残酷だろうか。
弟はぱっと顔を輝かせて私の膝の上に上半身を乗せた。痩せているがその肉体はしっかりと重い。

「いいのっ?」
「ああ」
「姉さんと一緒に寝るの久しぶりだなあ。何年ぶりだろ」
「ベッドから落ちるなよ? お前は寝相が悪いからな」
「大丈夫だよ。姉さんが抱いててくれるから」

照れたように弟は笑う。その笑顔は小さい頃のまま変わらない。変わったのは、中身。
私は、膝小僧を掴む弟の手を上から包み込む。二つ入れた角砂糖は溶けきっていた。