私は、恋をした。
女の子に。



「吉良!」

廊下の端から聞こえた声に振り向く。たん、たんと規則的な足音。さすが陸上部。
ふわっと風が吹いて、私の前髪が揺れる。

「遅れてすまぬ。これ…」

そう言って、今日締切りの数学のノートを差し出す。

「あ、うん」
「遅れてすまない。恋次に貸していたのだ…」

恋次は彼女の幼馴染。私が中学校に入ってから知り合った男。
地毛だというのに髪の毛が赤くって、おでこに派手な刺青を彫っている。噂によると身体中にも刺青がたくさん入っているらしい。
性格も短気なところがあって、しょちゅう喧嘩を起こしたり起こされたり巻き込まれたりしていて、すっかり生徒指導部の常連だ。
そんな物騒な人間だけれど、私よりもずっと彼女を知っているのが悔しい。

「大丈夫だよ。今から持って行くところだったから」
「そうか。それは良かった。ギリギリだったな」

明るく笑って、彼女は私に手を振る。私も、振り返して職員室に向かう。
微かにかおる、甘い匂い。
彼女は苺が好き。大体いちごオーレを飲んでいる。よく駅前のクレープを食べている。
それと同じ色をしたあの男。彼女と顔を合わせれば口げんかをしている。でも、楽しそう。
付き合ってるの? って聞いたら、彼女はあっさり否定した。あの男はどもってたけど。
誰の目にも、明らかな片想い。
私は職員室の市丸先生にノートを渡す。そういえばこの担任も甘いものが好きで、よく彼女にちょっかいをかけている。

「あ、ありがとう」
「いえ」
「あ、せや。イヅルちゃん、イヅルちゃん」

手ぇ出して、と。素直に手を出すと、小さなチョコレートをもらった。

「あの、これは」
「あげる。おいしいで」

それはピンク色の小さな、四角いチョコレートだった。ちょっとした休憩には良さそうだ。
苺味の、チョコレート。
それは彼女の笑顔の源だ。そしてチョコレートのように誰に対してもすんなりと溶けてしまう。

「……イヅル、ちゃん?」

市丸先生が私の顔を覗き込むのを感じた。

「あら、市丸先生がまた生徒を泣かしてますよーぅ」

割り込む松本先生の声。

「はっ!?」
「あーあー、可哀想に」
「違うて!」

松本先生や他の先生から市丸先生は叱られる。咎められる。私の所為だ。

「チョコレート嫌いやったっけ!?」
「え、あ、はい…」
「えっ! ほんまに!? ごめんな! ほなこれ…」

と、また手渡されたのは上品なパッケージのグリーンアップルのキャンディ。先生らしからぬチョイスだ。

「これ美味いで! 松本先生からもろたんやで!」
「そうよ美味しいわよー」

松本先生が朗らかに言う。じゃあ、と口に放り込む。
ああ、確かに美味しい。柔らかな甘さが唾を催促する。
胸にちょっとした幸福感が満ちたのだけれども、どうしようもなく腹が立つ。丁寧な包装も甘い匂いも固い感触も、私みたいで。

「…おいしいですね」
「イヅルちゃん?」
「とってもおいしいです。あまくて」

このキャンディみたいに、この胸の内も噛み砕くことができたなら。