何故この人はこんなにも触りたがるのだろう。
痩せたルキアの手に覆い被さっているのはギンの柔らかい手。もたれかかるまではいかないが、体を寄せている。
ルキアは人と触れ合うのはあまり好きではない。まあ家族や友人、恋人は別だが。

「市丸隊長」
「ん?」
「市丸隊長は甘えん坊なのですね」
「うん?」

肯定とも否定とも取れぬ返答にルキアは俯く。
利き手ではないから仕事はできる。彼女は軽いから腕は痺れない。恋人だから嫌ではない。
何の問題もない。
ああ、何の問題も。

「お仕事はよろしいのですか」
「うん」
「また吉良副隊長に押し付けてきたのですか……可哀想です」
「ええねん。あの子、苛められるん好きやから」

被虐心があるかどうかはさて置き、今度菓子でも持って行こう。ルキアは筆を進めながら菓子屋の選別を始める。

「ウチとおる時に他の女の話せんといて」
「吉良副隊長は同期です。友情はあれど愛情はありません」
「せやけどムカつく」

ぷうっと頬を膨らませて子供のようにギンは怒る。その仕草すらもルキアの気を引く為である。
しかしルキアは気にもとめない。

「そんな怒り方をしても無駄ですよ。演技する女は嫌いです」
「……ウチ、本気で怒ったら殺してしまうからアカン」
「ならばこれから一切他の女の話はしないことにしましょう。私のせいで斬られては可哀想です」
「うん」

望んでいた答えをまんまと手に入れてギンは愉快そうに笑う。

「仕事終わったらどっか遊びに行こうや」
「甘味? それとも着物ですか?」
「ご飯。新しい天ぷら屋が出来てんて。結構美味しいらしいよ」
「分かりました」
「その後は家来てや」
「あ、思い出した。明日早番ですから泊まれませんよ」
「えーっ?」

ギンが残念そうな声を上げた。

「早よ言うてや。家片付けてきたのに」
「私が行かなくても家は片付けて下さい。食事はご一緒します」

夕飯は一緒ということに納得したのか、ギンは嬉しそうに指を絡めた。ルキアはその行動の一つ一つにドキッとする。
ふと壁を見ると時計の短針が六に差し掛かっていた。ギンが触れていない右半身が寒い気がする。夜が近付いている。
一息ついた時、懐に入れている伝令神機が鳴った。名前は吉良イヅル。
きっと上司を探しているに違いない。一応聞いておく。

「市丸隊長。吉良副隊長からですが」
「出てええよ」

電話に出るのにいちいち許可を取るのはおかしな話だが、相手が女性の場合、こうしないとギンの機嫌を損ねて後々面倒なことになる。

「はい。如何致しましたか、吉良副隊長」
『そっちにうちの隊長、いない?』

聞こえてきた声は心底落ち込んでいた。上司が仕事をせずに一日行方不明になっていたら落ち込みもするだろう。気弱な者なら泣くかもしれない。

「おりますよ」
「ひどいなぁ、朽木くん。恋人売るんや」
「帰りに詰所に寄りましょうか?」

ギンのからかいを流して提案すると助かった、という小さな呟きが聞こえた。
ギンがいなければ三番隊を仕切るのはイヅルだ。自身の仕事をこなしつつギンを探して部下への指示もしなければならず、その心労や察するに余りある。
ルキアはもう少ししたら詰所を出る旨を付け加える。食事でもどうかと言いかけたが、残念ながら隣で甘える恋人はそれを許可しないだろう。また別の日に誘うことにした。
電話を終えてルキアは目の前にある書類を片付けて始める。急ぐものではないので明日でも構わない。筆や硯をしまうルキアの背中にギンが呼びかける。

「なあなあ」
「はい」
「早よして。ずっと待っとったんよ?」
「っ……」

足を崩して座っているギンにルキアは近付いた。彼女がやってきた時にある約束を交わしたのだ。
べたべたせずに大人しく待っていられたら――。

「……ご飯を食べて帰りますからね。それ以上はしませんよ」
「うん。分かっとる」

くいっとギンの顎を上げるとルキアは唇を重ねた。

「(……睫毛長いなぁ)」

薄い唇の感触を味わいながらギンは思う。まだ慣れていないのか、口付けをする度にルキアは目を閉じる。紫の瞳が隠れてしまうのは残念だが、長い睫毛が見られるので構わない。
ギンは顎に添えられた手を取って己の死覇装の中に差し入れる。触れた柔肌に手が震えた。

「それ以上はしないと申しましたが?」
「ええやん。今日一人寝やねんから愛しい男の手ぇの感触を覚えておきたいんや」
「感触など覚えてどうするんですか」
「そんなん……ああ。女にこないなこと言わせようとするやなんて、アカン子や」

蠱惑的な笑みで深くまで手を差し入れ、舌で唇を舐める様子は蛇そのものだ。

「っアカンのは、市丸隊長です」

ぎこちない訛りを発するとルキアは再び唇を重ねた。赤い頬は照れているだけではない。
空いた片手でギンの頭を傾けて髪を梳く。そしてうなじに指をかける。

「っ…」

懐に入り込んだ片手は頂点を探す。きれいに切りそろえられた爪が掠める。

「ん、」

唇から吐息が漏れる。ようやく探り当てた頂点を指の腹で優しく撫でながら髪からうなじをさする。
恋人がどこをどうすれば興奮するかくらい、把握している。後で一人でするのならそのお手伝いをして差し上げましょう。
ギンの頬に赤みが差してくる。崩した足が落ち着きを無くす。

「く、ちき…くんっ」
「はい?」

切なげに求めてきたところで止める。あくまで「お手伝い」ですから。

「ご飯食べに行きましょうか。あと詰所に寄らねばなりませんね」
「朽木くん…」
「今日は一人寝なのでしょう?」

にっこりと笑いかけてやるとギンはぎゅっと袖を掴む。

「意地悪せんといてぇな……ウチ寝られへんようになってまう」

……朽木くんのいけず。ギンはまた唇を強請ったがルキアはしなかった。
三番隊詰所に顔を出してイヅルに謝ってから、と。